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三笠の幾春別の奔別 [炭坑]

奔別と書いてポンベツ
炭坑ネタというか竪坑ネタというか、、
ここの竪坑の櫓はかなりインパクトがあります

幾春別市街の一部
現在は市街地を通らなくても
桂沢湖方面に行けるようになりました

炭坑跡が工場に
で、竪坑櫓
説明板もあるです

住友の炭坑時代は住友奔別となっていたようです
住友奔別閉山後、奔別炭坑となりすぐ閉山
まだ石炭はかなりあるらしい

別角度から
外壁が無く骨組みが見えるのは
坑道密封時の爆発事故によるものらしい
吹き飛んだそうで、、、

プーリー?リール?部拡大
ワイヤーが残ってるのだ

役目を終えた送電線の鉄塔

石炭積み込み施設の跡


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コメント 7

バーコードヘッド

炭鉱関連を拝見しました、いや~北海道は空間がでかいですね。
福岡県はどこに行っても山ばかり、かつての筑豊炭鉱の名残はあらかた消えてなくなりました。その点炭鉱遺構が多く残る北海道はうらやましいです。かたづけなくても土地が余ってるんでしょうね。いや景気が悪いというのが一番の理由か。でも福岡みたいに炭鉱遺構をあらかたなくして、道路や団地にしてしまうと故郷をとられてしまった気がして寂しいものです。
by バーコードヘッド (2006-11-01 13:34) 

分監山

他県のことはよくわかりませんが、残っているほうなのでしょうか。
本来は人など住まないようなところに、炭坑ができて、人が集まって、
街になったところが多いので、転用がきかないというのもあると思います。
閉山によって、数千人とか住んでいた街が、消滅しているところもあります。
by 分監山 (2006-11-01 19:28) 

ミッキー

いやー懐かしいです。父がS35年まで勤めておりまして、当時花形の実業団野球でも一応名をはせた選手でした。
もう何十年か前に竪坑櫓を見に行きましたが、もうすでに今の状態でした。でもその迫力は私にインパクトを与えるのに十分でした。
幾春別は母の故郷でもあります。
いつの間にか、母の故郷=竪坑櫓という図式が私の頭の中に出来ています。いつまでも残ってて欲しい遺構ですね。
by ミッキー (2007-06-22 00:35) 

分監山

今はひっそりとした幾春別ですが、昔はにぎやかだったんでしょうね
たしかに、ここの竪坑は迫力です
by 分監山 (2007-06-22 19:21) 

つばめ

懐かしい写真をありがとう。
昭和41年に幾春別中学校を卒業しました。
担当教師は、大津勝彦でした。
炭鉱の「立て坑」のみぎ手前に共同風呂が有り、その手前に事務所が有ったのを覚えています。この「立て坑」は、ドイツ人の設計で建てられと聞いています。
「石炭積み込み施設の跡」 
「立て坑」から見て左後方にあり、近くに石炭を洗った後の濃茶の水が幾春別川まで帯を作って流れていたのを覚えています。
by つばめ (2010-10-26 22:10) 

分監山

竪坑も昔はもっときれいだったのでしょうね、、、
あ、操業していた分、汚れてたのかな
by 分監山 (2010-10-27 19:17) 

新町ズリ山麓育ち。

懐かしいねー大津勝彦先生は、幾中で同期であり後に、妹が習ったせんせいです。ニキビ面で、目が腫れぼったくて、岩見沢学大卒でなかったかい。北教組の役員にも?元気ですか。後期高齢者に突入して間も無いけど、
by 新町ズリ山麓育ち。 (2015-09-06 05:06) 

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